コラム

レアアース四方山話 「日中希土類事業初期の頃」

• 2010/09/06 印刷 このエントリーをはてなブックマークに追加 この記事をクリップ! twitterでつぶやく

中国の希土原料を本格的に日本が使い始めたのは1980年代の半ば頃だった。カラーテレビの赤色蛍光体用に酸化イットリウムと酸化ユウロピウムが不可欠で、それぞれの原料にYコンク、EGコンクが大量に消費されるようになったためである。日立製作所が製造したテレビ、『キドカラー』といわれてピンと来る方は、50代以降の方達だと思います。キドカラーのキドはまさに希土類の希土からとられているのを知っている人は少ないかもしれません。(希土と輝度をもじって)   キドカラー詳細はこちらをご参照ください


キドカラーの飛行船

1986年の春の広州交易会に、日本イットリウム㈱からH経理部長と小生(稲村:製品部部長)が参加しました。交易会の会場で契約書にサインをした直後、H氏が突然腹痛を起こしたので、急きょホテルに戻り、近くの病院へ行ったところ、軽い食中毒ですぐに治るとの診断でした。

しかし、痛みはひどくなる一方。この様子を心配した中国希土業界の人達が、華僑系の広州でNo.1の病院へ転院するように準備を進めてくれ、翌日転院出来ました。診察の結果、H氏は「腸閉塞」と判明。直ちに手術を行う必要があるとのこと。国際電話でご家族と連絡がつき、同日夜に手術が行われました。

当時は世界的に「エイズ」が蔓延し始めた時代で、中国希土協会、中国政府からも心配を賜り、当初、蝶理、岡谷鋼機等、日本側商社から


まずは無料会員の登録からお試しください!